1.歴史

 日本においては、人々の生活の「質」を表すざまざまな指標が公的統計として整備されていますが、生活の「質」の格差や許容範囲の最低限の生活水準さえも満たされない「貧困」についての指標は、ごくわずかな例外を除き、ほとんど整備されていない状況です。日本においては、一般的に「貧困」を表すデータとして用いられてきたのは、生活保護受給者数および受給率です。生活保護受給者数および受給率は、最も古くから整備されている厚生労働統計の一つであり、1950年代から時系列で数値を負うことがでます。(厚生労働省「社会福祉行政業務報告」(福祉行政報告例」)日本の貧困の規模を表すのに、最も多く引用されている統計といえます。

 行政データではなく、社会調査による貧困率の推計は、厚生省(当時)が1953年から1965年に実施した「厚生行政基礎調査」でしょう。厚生省はこの調査を用いて、「低消費世帯(=現金支出が被保護世帯の平均消費支出額未満の世帯)」の割合の推計値を発表しました。しかしながら、1960年代に、日本における貧困が解消された、との認識から、その後長い間、公的統計としての貧困率の公表は行われてきませんでした。

 学会においては、1970年代から貧困研究が下火となり、ごく限られた研究しかされてきませんでした。1990年からは、公的統計データの個票の目的外利用が可能になったこともあり、貧困率や捕捉率を推計する研究成果が蓄積されてきました。

 2008年のリーマンショック後、職業と住居を失った人々が日比谷公園に集結した「年越し派遣村」や、子どもの貧困に関するマスメディアの報道などを契機として、貧困に対する社会の関心が高まってきました。

 厚生労働省は、2009年に「国民生活基礎調査」の所得データから算出される相対的貧困率(OECD基準。等価世帯所得の中央値の50%を貧困基準とし、それを下回る世帯に属する世帯員を貧困と定義する)を発表し、2011年には、相対的貧困率を過去に遡って発表しました。(厚生労働省2009,2011)

 ほどなく、貧困を所得を中心とした経済的視点だけで把握することの限界が指摘されるようになり、厚生労働省がナショナルミニマムの考え方を整理する為に設置した「ナショナルミニマム研究会」の中間報告(2010年6月)においては、「貧困や格差の実態把握に当たっては・・・多面的な生活の実態をより正確に把握し「人間らしい生活」の内容をイメージできるためには、健康状態、社会的対面、家族関係や人間関係、社会活動への参加、社会サービスへのアクセス等の相対的剥奪や社会的排除にも、併せて目配りすることが重要である」とされました(厚生労働省2010a)。

 さらに、「国民にも分かり易い政策目標にするためには、複数の指標を複合的に参照することが重要である・・・(中略)

・・・我が国で用いる具体的な指標の選択と組み合わせについては今後の検討課題である」と記されました。

  また、近年ヨーロッパ諸国では従来の「貧困」という考え方を発展させた「社会的排除(social exclusion)」という概念でさまざまな人が抱える生活問題を捉えるようになってきました。 フランスから発祥したこの概念は、貧困をただ金銭的や物質的な欠如だけではなく、人と人との関係性や、人と社会の関係性にも着目し、また、問題は排除された側(つまり貧困である人)にあるのではなく、排除する側(社会や制度)にあると考えます。社会的排除に対抗する力が、社会的包摂(ほうせつ)(social inclusion)です。日本でも、2011年4月に内閣官房に社会的包摂推進室という部屋が設置されました。

2011年1月 菅総理大臣(当時)の主導の元、厚労省、文化省、内閣府などの審議官レベルの「一人ひとりを包括する社会」

        特命チームが発足。→特命チームのホームページ(官邸)はこちら

2011年4月 内閣官房社会的包摂推進室が設置。初代室長は、派遣村の村長であった湯浅誠氏、室長代理は自殺対策NPOライフ

      リンクの清水氏。

2011年5月 特命チーム『社会的包摂政策を進めるための基本的考え方』を公表

2011年8月 特命チーム『社会的包摂政策に関する緊急政策提言』を公表

2011年9月 包摂室より『社会的排除の実態に関する調査報告書』が公表 →報告書のリンク(官邸HP)はこちら

2014年9月 日本学術会議分科会が『いまこそ「包摂する社会」の基盤づくりを』を公表